カテゴリー別アーカイブ: 8月の行事

大文字焼き

お盆の精霊送り

お盆の精霊送り

お盆の精霊送りとは、ご先祖様の霊を8月15日または16日にあの世に送り出す送り火や精霊流しなどの行事のことです。

「先祖の霊がこの世に留まってしまうのを防ぐために追い返す」という意味のほか、「先祖の霊が無事にあの世に帰って、また来年きてほしい」という意味も含まれています。

お盆の送り火

迎え火のときと同じように先祖の霊が、あの世へ戻る道を間違わないように「送り火」を迎え火と同じ場所でたきます。

有名な送り火には、8月16日の夜に行われる京都の「五山の送り火」があります。
この「五山の送り火」は、「大文字焼き」として広く知られており、特に東山如意ヶ嶽の「大文字」が、夜の闇に浮かび上がる様は、壮観で人気があります。

精霊流し

精霊流しとは、お盆の終わりに盆飾りやお供え物などを小舟に乗せて川や海に流し、先祖の霊を送り出す風習です。

この精霊流しの風習は、全国各地で行われていますが、長崎の「精霊流し」は、そのスケールの大きさからとくに有名で、2011年の「精霊流し」では、約3400隻の精霊船が送られました。

お盆飾り

ご先祖様をお出迎え!お盆飾り

お盆飾り

お盆飾りとして知られる盆棚は、先祖棚とも呼ばれ、お盆に帰ってきたご先祖様を家で祀る臨時の祭壇のことです。
一般的には、8月13日の朝に仏壇の前に小机などを置いてつくりますが、家の庭や縁側につくる場合もあります。
お盆に飾る盆棚の作り方は、宗派や地方によってさまざまなので、これが「正しい」というものはありませんが、一つの例として次のようにご紹介します。

盆棚の作り方

① 仏壇の前に小机を置き真菰で編んだござを敷く。
※このござがご先祖様の座る霊座となります。
② 棚の四方に笹竹を立て柱とし、これを真菰で編んだ綱を張ります。
※この綱の張った内側が、霊座の結界を意味します。
③ 張られた綱には、ほおずき、キキョウ、ミソハギ、オミナエシ、ユリ、ナデシコなどをつります。
④ 中央には、お位牌を置き、その前にお水や初物の果物や野菜、お菓子、そうめんなどをお供えします。
⑤ キュウリやナスにオガラを刺して作った馬や牛も置いて飾ります。
  ※この作り物の馬や牛は、ご先祖様を送り迎えする乗り物を意味します。
⑥ お盆の間は、精進料理を供え、お水やごはんを毎日三回お供えします。

盆飾りを片付けるのは、8月17日に行うことが多いのですが、8月中飾っている地域もあります。

お盆の迎え火

ご先祖様への目印!お盆の迎え火

お盆の迎え火

お盆の迎え火とは、一般的に8月13日の夕方に帰ってくる祖先の霊が道に迷わないように家の前で炊く火のことです。

現在では、盆提灯に火を灯して「迎え火」とすることが多いのですが、古くは、素焼きの鍋に麦からや麻のくき、松の根、檜の皮などを入れて炊いていました。

各家々の門口や墓地で「迎え火」を炊くほか、共同で道の辻などに「迎え火」を炊くところもあります。

また、「迎え火」を炊いたり灯したりする際に声かけをする地方もあります。

例えば、長野県では、祖先の霊が道に迷わないように提灯などに「迎え火」を灯すときに「おじいさんも、おばあさんもこの明かりでおいでなはあれ」と声をかけます。

他にも秋田県雄勝郡では、「こながり、こながり、じっちゃも、ばっちゃも、みなこい、みなこい」と声をかけます。

有名な「迎え火」としては、愛知県の三河山間部から尾張東部にかけての「百八本の松明」などがあります。

お盆の由来

目連の涙が生んだ?お盆の由来

お盆の由来

お盆の由来は、仏教の「盂蘭盆会」という説話からとされています。

この「盂蘭盆会」という説話には、次のように書かれています。

昔、釈迦の十大弟子のひとりに目連という人物がいました。
目連は、お釈迦様が中インドにあった舎衛国の祇園精舎(※寺院)にいらっしゃった際に、修行によって、六神通という能力を身につけることができるようになりました。

親孝行だった目連は、死んだ父母を救い出そうと六神通のひとつである天眼通を使い父母の死後を覗き込みました。すると、死んだ母親が、飢餓道という世界に生まれ変わり、飢えと渇きで苦しんでいる様子がみえました。

嘆き悲しんだ目連は、お釈迦様に救いを求め「母親が地獄で逆さづりになり、飢えと渇きで苦しんでいます。どうしたら救えるのでしょうか?」と尋ねたところ、

お釈迦様は、こうおっしゃられました。
「あなたの母親の罪は根が深いので一人の力ではどうにもなりません。」
「多くの衆僧の力が必要なので7月15日の僧自恣(※僧たちが自ら懺悔を行なう会)のときにご飯などの食べ物や棗、梨などの果物、沐浴するときの道具などを供養して力をかりなさい。」

目連は、お釈迦様の教えに従い、多くの衆僧を供養し、あるときのお釈迦様の「盂蘭盆会(法話)」際に、長い間の飢餓の苦しみから母親を解放することができました。

この「盂蘭盆会」の説話から、このあの世で苦しんでいる死者を供養して救うという仏教の風習が「お盆」という行事として広まっていくようになりました。

立秋

秋のきざし?立秋

立秋について

立秋は、二十四節気のひとつで、新暦の8月8日ごろにあたります。

一年でもっとも暑い時期を抜け、少し秋のきざしを感じられ「秋が立つ」日と言われています。

藤原敏行という歌人は、「古今和歌集」で
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかぬる」詠んでいます。

現代語訳すると「秋が来ているのを目にはっきりと見ることはできないけれど、風の音で秋の気配を感じて驚いた」という意味で、藤原敏行が、立秋に風の音から秋のきざしを感じていた様子がうかがえます。

また、この日から時候の挨拶も「残暑見舞い」に変わります。

しかし、まだまだ、暑さが厳しい時期なので、水分をこまめに取ったりしてしっかりと暑さ対策が必要です。

八朔のアイキャッチ

八朔の祝いにかかわったのは徳川家康?豊作祈願の行事「田の実の節句」

八朔は、旧暦8月1日の行事です。稲作の重労働も一通り終わり、田畑では、稲穂などが実ってくる季節でもあり、また、台風シーズンでもあることから、実った稲穂の無事と豊作を祈願するため「田の実の節句」とも呼ばれます。

鎌倉時代には、「田の実の節句」の「田の実」は、「頼み」に変化し、よく頼みごとをする相手に「八朔の祝い」として贈り物し絆を深める習慣があったという記録が残っています。

江戸時代には、徳川家康が江戸城に入った日として祝日となり、八朔の祝いとして定着しました。

八朔の行事のやり方は、地方によってさまざまで、七夕の笹のようなものを立てるところもあれば、竹の筒に神酒を入れて畑に供えたりするところもあります。

また、八朔の馬供養という馬や人、鶴亀などの形のしんこ細工を親戚などに送るところもあります。

京都の祇園では、舞妓がお茶屋やお稽古事ごとの師匠に感謝のあいさつ回りをする日と伝えられています。